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ことばひろい

機関誌より『ことばひろい』を掲載しました。

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■ 第1期


第01回:『 「許してあげようと思っています」 』
カナン牧場 サービス管理責任者 菅生明美

第1回 2010年11月15日発行(機関誌102号)

「許してあげようと思っています」
「許してあげようと思っています」

就労移行支援サービスを利用している彼は、来春の移行先がまだ見えないことにあせりを感じている様子が伺え、気がかりな一人であった。 先日、彼とじっくり語る時間がとれ、これまでの障がいを抱えて生きてきた子どもの頃、 特に中学校時代に周りについていけなくなった時のしんどさと、 ダメな自分への腹だたしさと、理不尽な想いを聴かせていただいた。

普通高校は無理だと云われたショックが、その後の青春時代を苦悶する毎日にしてしまったとのこと――。 そして、充分に語りつくしたように思えた時、 「その障がいを、もう22才になったので、許してあげようと思っています。両親にも許してあげようと思っていました」と語った。

彼からは、なぜ家族の中で自分だけ障がい者なのかと、親に訊ねたい気持ちはあっても、反発することで、 親は嫌いだと思うことで代用しているような様子だと感じていた。

「カナン牧場で働いている先輩達は障がいを許してあげたんだろうかね」と呟く私に、 「聴いてみたい」とのこと。早速、午前の休憩時間に彼も仲間入り、 先輩達に投げかけてみた。

先輩達はちょっと沈黙…、<許す>とのことばに戸惑いを見せた。しかし、「あーわかるような気持ちだな」と応えて下さり、 「悩んでたよ、障がい者だからできないんだ、と云われることに腹がたってこのやろう、と思ったもんだ」 「しょうがないよ、生まれた時からだから、自分のせいでないから」「許す! まだ誰のことも許していない、まだまだー」 「30才過ぎて受け入れるようになった、許すことと同じなのかな」

このやり取りに彼は聴き入り、「分かってくれる人がいました」と安堵の表情を見せてくれた。 ようやく仲間の存在が身近なものになったのだろうか、 ほんの一歩だろうけど。

これからの長い人生を生き抜く時、同じような悩みを何回も何度でも波のように繰り返していくのだろうと思わされた。 誰でも思春期には思い悩み、自己嫌悪の葛藤があるわけだが、「違う・区別される」ことに敏感な思春期に「障がい特性」による “人と違う”ことで苦しまなければならない苦悩の深さは計り知れないだろうと、分かりきれなさに、うな垂れてしまうしかない。

しかしそんな苦悩の時を経て、自分を語ることが出来るようになった先輩達の言葉は、彼にどんな安心感の種を蒔いてくれたのだろうか。

先輩達はいろいろな言葉で彼に伝えたが、A子さんは最後にこう伝えてくれた。

「ここで、こうして仲間と働くようになって、自分は自分でいいや! と思えるようになったんですよ、あの頃は子どもだったなあと思うし、 今は少し大人になったかな。それって自分も障がいを許してあげたことになるのかな」

生きる道をしっかり探してきた仲間達が言葉を紡いで、誰かと誰かを結ぶ役割をお互いに担いながら、 安心感の種をもらってここまで歩いてきたと思わされ、しみじみ彼らの言葉を噛みしめていた。

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