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ことばひろい

機関誌より『ことばひろい』を掲載しました。

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第08回:『 孫がいたから… 』
ののさわ事業所 副施設長 鈴木直人

2013年7月15日発行(機関誌110号)

孫がいたから…
孫がいたから…

私が初めて小さき群の里を訪れたのは17年前の2月、まだ深い雪に覆われ、建物の形も分からないほどの豪雪でした。 小さき群の里の夕食時間より実習させていただいたことを今でも昨日のことのように思い出します。 当時、何も知らずカナンに飛び込んだ私は、日中の実習先である、 ヒソプ工房の当時の施設長さんに 「ほんとに何も知らないんだなぁ。でもまあやってみたら。でも、あなたはまず里を経験しなきゃね!」 と声を掛けていただき、緊張の中、あるホームの利用者の方々と夕食を共にしながら その日の担当職員に利用されている方々の暮らしやこれまでの事などを伺いました。 皆さんは、幼少期より親元を離れて暮らしていること、施設での生活が20年以上の方々が殆どであること、毎日、家族のことを想っていること等々。

数日の実習期間の中で、そのホームで長年生活をしているSさんが私の手を取り、洗濯干しをして欲しい、 濡れた物でもタンスに入れて欲しいと私にぴたりとくっついて繰り返し求めてくることがありました。 特に、食事の次は服薬、歯ブラシなど、毎日やるべきことを待ち切れずに早く進めたいのでした。 しかも訴えが叶わないと大声を上げたり、私の手を口に入れようとしたり落ち着かない状況が多く見られ、 私自身、知識もなかったのでその場でどのように対応すればいいのか分りませんでした。 正直なところ、「自分は本当にここでやっていけるのか」と躊躇したことを思い出しています。

その年の4月、小さき群の里の職員として採用され、実習に入ったホームでSさんの担当となり、外出や帰宅など親御さんとの関わりが始まりました。 当時のSさんは家庭生活への配慮が必要で、ホームではある程度のことはできても、帰宅すると生活リズムもホームとは全く違う流れができ上がっていました。 私は新米職員でしたので、親御さんの気持ちも酌まずに「Sさんの健康上の配慮や生活リズムは決まっている方が良いので、このようなことが必要です」など、 私の経験のみを押し付け、家庭での生活の大変さ、親御さんの気持ちについては心が及びませんでした。 当時、入所されている方々は幼少期より親元を離れ、いつ帰るのか、いつ親御さんに会えるのか分からず暮らしていました。 そんなふうに互いに家庭で暮らす時間が少ない家族の気持ちを察する度量は私にありませんでした。

その頃、隣りのホームで暮らすMさんのエピソードを聞きました。 やはり幼少期より離れて暮らすお孫さんになかなか会えないでいたお婆さんの話でした。 食べ物を中心とした健康管理が重要なお孫さんへ会いに来てはトイレでお菓子を食べさせ、担当職員がとがめると、「食べさせていない」と。 私に話してくれた先輩職員も当時Sさんの関わりに悩む私と同じような話をお婆さんにしたとのことでした。 お婆さんもお孫さんが生まれた時からずっと悩む日々で、存在そのものを丸ごと受け止めきれない日々もあったようです。 そんな折、施設の家族旅行で沖縄に行った後に「孫がいたから、沖縄に連れていってもらえた」と、お孫さんへ感謝の気持ちを話しておられたとのことでした。 お婆さんにとって沖縄は兄弟が戦死した特別な場所で、いつか訪ねたいと思いつつも果たせぬことと思っていたようです。 そこに孫が連れて行ってくれたのですから、格別な思いがあったことと思います。

私は自分が体験していない事を棚に上げて、自分の生きてきた経験だけでものを語り、人に押し付けることがあります。 特に若い時は親が子や孫を想う気持ちが分からず、支援に丁寧さを欠くことも多々ありました。 もちろんこの仕事に対する使命感であったり、色々な思いで関わってきたことも事実です。 幼少期から40年もの間、親元を離れて暮らしてきた方々は、この先もずっと、家族のことを想い続けて生きていきます。 その想いに応えていけるような者でありたいと思います。

17年前、「あなたは小さき群の里を経験するように」といわれた言葉が今も胸に響いています。

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