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ことばひろい

機関誌より『ことばひろい』を掲載しました。

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第17回:『 あくび! 』
奥中山学園副園長 尾崎努

第17回 2016年7月15日発行(機関誌119号)

あくび!

K君が奥中山学園に入園してきたのは、3年前。中学入学を半年後に控えた小学6年生の秋でした。 自閉症という障がいがあり、いろいろなことを彼が理解できるように伝えるのが難しい状況での入園でした。 転校だけではなく、K君を大切に育ててきたご両親を始め妹弟や祖父母などの家族と離れ、学園の暮らしも戸惑うことばかり…。 不安や見通しのなさ、混乱の極みのような環境の変化でした。 奥中山学園は、少しでも家庭に近い生活環境、少人数でできるだけ固定的な人間関係が築けるような暮らし等をめざし、 一つひとつの寮を独立した1戸建てとし、敷地内に点在させています。 一般的な住宅と同じように寮毎にリビング、台所、風呂、トイレなどがあり、居室は個室または2人部屋となっています。

K君は当時私が担当していた寮で暮らすことになりました。 予定の変更や見通しが持てなくなった時には大きく混乱して、グーで自分のおでこや脚を強く叩いたり、 大声で泣くことでSOSを訴え、さらに走り回ったり、周りの人の腕をぎゅっとつねって、自分のつらい気持ちを出すこともありました。 入園して半年くらいは、毎日同じ夕方4時位の時間帯にその状態になり、 お風呂に入ると、今日もここで寝るんだね、と半ば諦めた様な表情で静かになる、ということの繰り返しでした。

いくら私(たち)が「安心して過ごしていいよ」と伝えたいと思っても、お互いに通じ合う言葉は少なく、 K君が話してくれるのは「ごはん」「食べる」や「おうち」などの単語か、「あくび!」という言葉でした。 実は、K君は「嫌だ」という言葉が言えず、この「あくび!」という言葉で嫌だという気持ちを伝えていたのです。

K君にはとにかく、寮にいても楽しいなと思え、優しい仲間たちや大人から安心を感じてもらえれば…と願って過ごしました。 夕方学校から帰ってきたら、手洗い・うがい、着替えをし、学校の宿題を一緒に頑張って終えたら、お楽しみタイム。 K君の好きな「だんご3兄弟」や「忍たま乱太郎」の曲を私のギターに合せて一緒に歌っていると、表情が柔らかくなり、 どこかに子どもらしさの残る穏やかなK君の姿になります。 〈安心〉を言葉で伝えることはできなくても、一緒に楽しい時間を過ごすことで伝えられそうだ、と毎日毎日行いました。 他の高校生たちも、その音楽の輪に加わってくれるので、K君も自然な形で仲間と笑い合えるようになっていきました。 ある時から「ヒヤホ!」や「はちはち、もち」という言葉を仲間で日常会話に取り入れて使ってみました。 これも「あくび!」のようなK君にしかわからない言葉なのですが、その言葉をみんなが笑顔で使うことで、 「僕らはつながっているんだ」という想いが交わされていくように感じました。

中学3年生になったK君は来年にはいよいよ高校生となります。 気持ちが安定し、色々なことに見通しが持てるようになってきた今、秘めていた力が次々と開花し、グングンと力をつけて仲間から一目置かれる存在になりました。 3年前に166センチだった身長は、私が見上げる178センチになり、顔つきも大人らしく凛々しくなっています。

先に触れたように、入園した頃のK君は納得ができないこと、見通しが持てないこと、嫌なことがいっぱいあっただろうに、「嫌」という言葉が言えませんでした。 私にはそれが言わなかったのか、言えなかったのかはわかりません。 でも、今では困った時に「い・や・だ!」と言えるようになりました。今では私が「あくび!」と言うと照れくさそうにニヤニヤッと笑っています。

K君とは、言葉のキャッチボールを、学校の行き帰りの道で、生活の中でしてきました。 目に映る物を指さし、「K君、あれな〜んだ?」と聞くと「お花!」「電車!」などと答えてくれます。 いろんなものの名前を知っていることに感心したり、前には答えてくれなかったものが答えられるようになったり、と、 過ごす時間が積み重なった分だけ、K君の言葉と笑顔に出合えました。

かけがえのない時を経て、K君の「あくび!」は「い・や・だ」に変わり、「あくび!」は互いを結びつける言葉に変わりました。 この先の未来にK君がどんな言葉を覚え話してくれるのか、そのワクワクが私のエネルギーの源、人生の宝物です。 そして、ずっとずっと応援していきたいという想いがますます膨らんでいくのです。

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